2024-11-11
まず思ったことはまったく行き詰っていないということ。
トータルで約 30 年のキャリアがあるわけですが、ほぼ全てでエンジニアでしたし、今後もエンジニアを続けたいと思っています。
こう思えるのは間違いなくすごい。技術力がある証拠。30 年で非常に多くの革新的な技術が生まれているにも関わらず、エンジニアを続けることができるのは尊敬する。
ウェブ系で主にサーバサイドのエンジニアをしていますが、その中で特に何が得意というものがありません。過去の経験でも、言語もフレームワークもばらばらです。
こういう方がいると現場はとても安心する。困ったらとにかく一番に相談しようと思える。
特定の言語やフレームワークの経験者として転職しても、会社によって細かなやり方の違いはどうしたってあります。業務知識も必要になります。なので転職して最初のうちは言われたことを言われたとおりにこなすメンバーレベルの業務になります。
メンバーレベルの業務をこなすことができるだけでリーダー層はありがたい。
短期転職を繰り返したことで、履歴書の職歴欄が入りきらないくらいの量になってしまいました。履歴書を書くのが大変というのもありますが、採用側から見たら「どうせすぐに辞めるよね」って判断されがちなのはありそうです。
私だったらそうは思わない。この方がどうすれば続けてくれるかを考える。
そもそも自分が何をしたいのかを突き詰めて考えていなかったという問題もあります。何をしたいかを見定め、それを実現できる職場に転職するとか、プライベートでスキルを磨くとか出来ていればよかったんですよね。そういったことをせず、ただ単に状況に流されるままに過ごしてきたために今があるとしたら、自分の仕事人生に軸が無さ過ぎたのだなという反省があります。
「そもそも自分が何をしたいのかを突き詰めて考えていなかったという問題」の何が問題なのか。未来はわからないのだから状況に応じて対応していくしかない。突き詰めて考えることと理想の人生を歩むことは関連がないように思う。突き詰めて考えたからといって理想の人生を歩めるとは限らないし、理想の人生を歩んでいる人は全員突き詰めて考えていたわけでもないと思う。理想の人生を歩むことができた人は努力できる環境と努力が評価される環境がたまたま揃っていただけではないか。運が良かっただけではないか。持病を持った人がどれだけ自分の人生をその克服に時間と努力を費やさなければならないか、その努力がどれだけ社会で評価されないか。世間一般の普通とされているものに近づく虚しい努力。多数派ができることが普通であり、できない人は社会が認めない。「自分が何をしたいのかを突き詰めて考えていなかった」という、突き詰めて考えることができていたならば何か違ったと思えるような自由があった。そしてその自由を引き続き手にしたままではないか。「ただ単に状況に流されるままに過ごしてきた」ことや「自分の仕事人生に軸が無さ過ぎた」ことも「人生行き詰ってきた」という結論にはならない気がする。
とても素晴らしいエンジニアだと思う。私はこういう方に同じプロジェクトにいてほしいと思う。